清掃活動で富山の魅力再発見!岩瀬の観光スポットをきれいにしよう!

【第2部】重要文化財 北前船回船問屋森家・富山港展望台 見学 2017年8月20日(日) 10時~

第1部清掃活動 のあとは、岩瀬の街並みをお散歩しながら、国指定重要文化財 北前船回船問屋 森家の見学に行きました。

厚さ50㎝の一枚岩で出来ている土間廊下を通って、数歩中に入ると、囲炉裏が目に飛び込んできます。

かなり天井の高いお屋敷であることがわかります。

囲炉裏端に位置するのは、江戸から明治時代に、日本海交易で活躍した「北前船」の模型 。

……と、囲炉裏を囲んで皆でウロウロしていると、『あなた方はなんの団体さんかな?解説いたしまっそ~』と、受付からおじさまが登場!

誰あろう館長さんでした。

 

言い回しも面白く、流れるような解説を頂きながら、森家内部を見学の始まり始まり~

北前船は行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元ではバイ船と呼ぶこと。

船の往復もうかるから「のこぎり商売」ともいわれ莫大な財をなしたのが森家だということです。

お屋敷を建てるときの棟梁は、京都の東本願寺を普請した親方をわざわざ呼び寄せたとか。そのことだけでも、森家の財力が想像できますねぇ

森家は代々、四十物屋(あいものや)仙右衛門を世襲してきた船持ちの肥料問屋であったこと。

仙右衛門だから「仙」なんですね。

汽船と鉄道の影響を受けて明治中期に銀行業に転進したことなどなどを解説して頂きました。

個人的にいちばん印象的に残っているのが、皆で『オイの間』の囲炉裏を囲むようにして伺ったお話。
ちなみに『オイの間』とは居間兼台所のことだそうです。

囲炉裏の回りでの座り順から始まり、
『嫁はやはり下座なんですな。嫁は姑に仕え、その嫁がまた姑になって嫁に仕えられる。女性の人生は順送りなんですな。』

……ははは(笑)

いやはや、身につまされるお話でございます。

このオイの間から控えの間に入る手前には半分の畳がありました。
畳「半畳」と商売「繁盛」をかけているのだそうです。

また、前座敷に面する廊下角の床は「入」を模した組み方になっています。
財が「入る」ようになどの意味が込められているんだそうです。

『繁盛』に『入る』……大金持ちも、いや、大金持ちだからこそ?ゲン担ぎされるんですね。

 

オイから続く大広間
前座敷、仏間、ザシキの他、控えの間が3間、鞘の間が2間あります。

普段は、各間を仕切っての共同生活ですが、「バイ船」の帰還時には、航海の無事を祝って、ここで盛大に祝賀会が行われたそうですよ。

前座敷の開口部にはガラスの引き戸がありますが、角には柱が無いという珍しい造りになっています。
お庭を切り取らずに広々とながめられますね。

柱がないでしょ?

 

板戸には材木としてヒノキよりお高い屋久杉を、また梁には能登産の黒松をふんだんに使っているのだと教えて頂きました。

ここで森家の秘宝公開
襖戸を外すと…なんと隠し金庫が登場

幾度の大火に見舞われた岩瀬では、借金等の帳簿など、大事な商売道具が燃えてしまったこともあるそうで、二度と火災に合わないようにと、当時のご主人が耐火性の金庫を東京で買い求めたそうです。

それ以降、火事には見舞われていないため、火除けの守り神としての効果もあったとか。商売魂を感じます。

廻船問屋ならではの小道具もあります。『船箪笥』です。
航海中に書類や衣類、金銭などを収納した箪笥で、外見は金属、中身は木製のため軽く、海中では反復しても沈まないのだそう。

蔵の手前左側には客用の厠があります。ここにも贅沢な木材が使われており、天井材はまたまた貴重な屋久杉だそうですよ。

お金持ちの鉄板アイテム!蔵もモチロンございます。

2階も、解説を聞いてから上がると、ひと味違った情緒があります 。

皆さん、是非1度館長さんの解説つきで、重要文化財 北前船回船問屋森家を訪れてみて下さいね

 

森家を出た後は、富山港を一望できる富山港展望台へ。

こんな場所があるなんて、富山市民なのに私も知らなかったんですよ。

息切れしながら、高さ24.5メートルの展望台をめざして階段を登ります。

この日は、くっきりとは見えませんでしたが、晴れた日は、立山連峰を望むことができるそうですよ。

まだまだある、知る人ぞ知る・知っていても訪れたことのない富山の魅力的なスポットをこれからもどんどんレポートして参りますね!